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執筆者の写真aikidoiriedojo

形を丁寧に行うこと

合気道は試合・競技のない武道です。試合や競技のある武道やスポーツでは、試合に勝つために、という分かりやす目標があり、それに向けて努力をすることができます。 試合のない合気道では、ただ稽古をするということが大事です。もちろんその中で各自目標を見つけていけると、努力につながりやすいかもしれません。ただ稽古をするというのは、合気道の中で明確な目標を持って努力する、というよりは、人生の目標に対して努力していくための方向付けを合気道の稽古を通して行っていくことです。合気道の中での目標はその途中のチェックポイントみたいな感じで設定していくと良いと思います。


合気道の稽古では基本の動き、技を丁寧にやっていくことが大事です。合気道では型にはまってしまうことを嫌い、形(カタ)という表現を控えたり、開祖も合気道に(決まった)形はないが、言うなれば気形(キガタ)であるという表現をされています。ここで書きたいのは、そうした形に対する解釈論ではなく、形を行うこと、それ自体の意義の一つを書いてみます。 日本では昔から武道に限らず、茶道や伝統芸能でも形というものは重んじられてきました。形をきちんと身に着けたうえで、それを変化させたり崩したりすることが評価されたりします。この形というものは、動きの決まりとして技術的な向上を目指すためだけではなく、強い身体を作り上げていくための修練の方法でもあります。この強い身体というのは、筋肉を強くするだけではなく、骨も強くするということです。骨が太くなるだけでなく、骨格的に強い身体を作るということにもつながりきます。 これは、骨(こつ)ピエゾ効果と呼ばれるもので、骨に圧力が加わると帯電し、その電気がカルシウムを骨に吸着してくれ、骨が強くなるのです。だからどこにどのように負荷を加えるかということで骨格を作ることができるのです。それぞれの武道の形は、それをより丁寧に行うことで、その武道に必要な骨格を作ることができるようになっています。

合気道は試合がない分、本当に相手に技がかかるのか不安になったり、柔道の乱取りのような稽古で試してみたくなったりする方もいますし、それはそれで興味のある人同士で集まってやってみたら良いのではないかと思いますが、先人たちが作り上げていった形は素晴らしいものなので、それはなるべく丁寧に行っていく必要があります。 こうされちゃったらうまくできないから変化する、のではなく、それぞれの形それ自体に意味がありますから、受けもそれにあった受身をとっていく必要があります。今はうまくできないから自分なりのやり方に変える、のではなく、それでもなるべく形どおりに行い、できる身体を作り上げていきます。形を、相手を投げるという結果であったり、投げられるかどうかという技術的な側面ばかりに気をとられると、身体的な向上がついていかないことがあります。技術的な向上と、身体的な向上のバランスが形には入っており、まさにそこにコツがあります。 もちろん変化も大事です。変化がきちんとできるかどうかは基礎の積み重ね次第です。基礎がしっかりしているからこそ、正しく変化できるようになります。ただ丁寧に稽古をする、それ自体がとても意義のあることで、それを大切にしていきたいですね。 追記:骨ピエゾ効果を紹介したのは、形の反復をひたすら続けることに科学的な意味があるということを知ってもらいたかったからです。 武道の稽古はややもすると、非効率で非科学的だと言われることがあります。効率的かどうかという意味では、何かとの比較が必要なので、その比較によって変わってきますが、非科学的という言葉は注意が必要です。非科学的という言葉には大きく分けて2つの意味があるからです。1つは科学的データやそのデータの検証で否定されているという意味で、もう一方はまだ科学的データでは裏付けがなされていないという意味です。前者は改善が必要ですが、後者においては、多くの場合直感的に、それが自分にとって必要かどうかあるいはその先生についていきたいかどうか等、でそれをやるかどうか判断することになるんじゃないでしょうか。 後から科学が追いついてくるということもあると思いますので、いま分かっていることだけで判断するともったいない、ということもあるかもしれません。

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