合気道入江道場では大人も子どもも同じ様に稽古をしています。特に技の面においてです。子どもだから技の手順や受け身の仕方などを単純にしてしまったりしていません。
なぜなら子ども達は「できる」からです。もちろん大人と同じようには「できない」こともあります。例えば低学年だったら、右ひだりがまだ分からない、とか、左右交互にやる、とか、4回交代でやる、とか、筋力が大人より弱い、とか、大人がちょっと力を入れたら動けない、とかです。それはそもそも稽古を続けていくことで、あるいは身体や心が成長していくにつれて身につけていくことです。今できるかできないかを基準にしていしまうともったいないと思っています。
子どもは「できる」という視点からと、大人と同じようには「できない」という視点から考えた稽古法では自然と指導の仕方も変わってきます。必ずしもどちらがいい悪いの問題ではなくアプローチの違いの話ですが、明確に違うものだと思います。
「できない」ことを「できる」ようにするには、もちろん指導での工夫も必要でしょう。うちの道場では、「できる」ことを丁寧に続けていくことで、よりうまく「できる」ようになることや、「できる」という自覚から生まれる自信を身につけて、今は「できない」ことにも挑戦してみて「できる」ようになり、「できる」ことを増やしていくという考えで子ども達に指導をしています。
そこで一番身につけてもらいたいのは合気道の技術ではなく、何かを続けていくことはとても大事なことであるということです。学校や家、他の習い事などで嫌な事があっても合気道は頑張って続けた、ということは必ずその子の自信につながっています。もちろんそれは合気道でなくてもいいと思います。逆に今日の合気道の稽古はうまくいかなかったけど、いつもどおり好きな絵を書いたりする等が心の支えとなり、合気道の稽古も続けられるということもあるでしょう。
さて、ここで問題となってくるのは大人と子どもで同じように稽古をしてみると、明確にその違いが現れるということです。子どもたちの方が吸収が早かったり、言葉の説明では表現しきれない部分を感じ取って身につけていっているということです。子どもたちは常日頃、稽古以外でも身体をよく動かしていますし、感受性が豊かなので、当然といえば当然なのかもしれませんが、それだけではないと思っています。子ども達は、先生の言ったことを聞いたまんま、やったことを見たまんま、感じたまんま、自分でやってみるのに対し、大人はそれぞれ自分の解釈や、自分なりに今の自分にできる形に落とし込んでしまうのです。
大人より人生経験の少ない子どもたちは常に新しいものに触れ、それを良くも悪くもそのまま吸収していってるのに対し、大人は自分の今までの経験から情報を取捨選択したり、自分なりの解釈で吸収したりしてしまっています。大人もたまには童心に返り、「ただ、今」に没頭して稽古に臨んでみると見えてくるものがあるのではないでしょうか。
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