稽古の稽という字はかんがえるという意味です。古はふるい。稽古をするということは古いことをかんがえるということです。
稽古照今、古いことをかんがえて、今に照らす。合気道においては開祖の残された道歌や、開祖の直弟子、またその弟子へと直接受け継がれた技をしっかりと学んでいくことで、今現在の生活、生き方に反映していきたいわけです。
合気道の稽古では、師範·指導者が前で手本を見せ、それをなるべくそのままやってみるという形で行われます。もちろん補足的に説明がなされることもありますが、まずは見たまま真似てみる、それが大事だと思います。学ぶという言葉は真似るという言葉から生まれています。
もちろん師範の動きを見たまま真似るということはすぐにできるわけではなく、手順をしっかりと覚えていても、全く同じにはなりえません。どこがどう違って、どう変えていけばいいか、そんなことを考えていきたいです。どうやったら強くうまく投げられるかなどという些末なことは考えることではないと思っております。師範の通りにはできないからといってすぐに自分なりにアレンジしたり、自分なりのやり方だけで満足しないで、違いを感じ、探し、見つけ、変えていく。その繰り返しです。
合気道には試合がありません。勝ち負けだけにとらわれることなく、精進していきたいです。開祖は時代によって、特に戦前と戦後で、その技が変化していったそうです。いつの時代に開祖の元で学んでいたかによって、受け継がれた技も相当に変わっています。また弟子達も各自の研鑽の結果、あるいはそのまた弟子に伝えるための工夫として合気道の技を変化させてきました。各師範が各々違ったことをやっているからといって自分も好き勝手やったり、あるいは逆に安易に自分のやり方だけに引きこもらず色々なことを学んでいきたいと思っています。まずはそのための基礎·土台づくりをしっかりしたいものです。
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