気とは何かといつも考えています。
合気道では、稽古の中で気という言葉を使う先生と使わない先生がいらっしゃいます。そんなもの無いとおっしゃる先生もいらっしゃるでしょう。
ちなみに、ここではあくまで私の考えで、他の先生の考え方を否定したりするものではありません。
この世のありとあらゆるもの、人間や動植物あるいは物質が存在し、それぞれの働きを行っていくためにはエネルギーが必要で、その(宇宙の)根源的エネルギーを私は気と呼んでいます。ここで大事なのは気が根源的エネルギーであるのではなく、根源的エネルギーを気と呼んでいるということです。ヨガだとこの根源的エネルギーをプラーナと呼び、それを身体に受け入れることをプラナヤーマ(呼吸法)と呼んでいます。要は呼び方は変わることがあるということです。また、気を別のものと解釈をすることも十分あり得ます。
大事なのはその時、その人がどのような使い方をしているのかを考える、感じることです。なので、使い方や定義の仕方で、気はある・ないというのは必ずしも互いを否定することにはなりません。また、合気道の稽古の中で、気の事を考える・考えないというのも時と場合、人によっても変わってきます。
合気道入江道場の稽古では、この気を感じる受け入れる、そして自分の形で活かしていく、そういうことを大事にしたいと思っています。これは合気道の個々の技術を、気の力でもってうまくやる強く技をかけるということではなく、普段の生活に活かしてもらいたいと思っているということです。そのため具体的な活かし方は個々の道場生の判断によることになるわけですが、自分を、そして周りの人をプラスにもっていく、ポジティブで建設的な方向で活かしてもらいたいと願っております。
#合気道 #合気道雑感
Comments